ホテル、フードサービス、ラグジュアリーリゾート、公共リゾートなどレジャー事業全般における総合的なプロデュースと新業態開発を行うカトープレジャーグループ。22歳で事業を引き継ぎ、一代で年商規模220億円、総従業員数3100人の企業に成長させた加藤友康氏にその経営哲学をうかがいます。
「クラウド会計ソフトfreee」は、中小企業の経理作業を自動化し、バックオフィス業務の最適化と「働き方改革」を支援するソフトウェアです。 その開発を手掛け、freee株式会社を創業した佐々木さんに、画期的なソフトの誕生の経緯、そして会社経営にかける思いをうかがいました。
ラグビーひと筋の小中高時代、コーチとして指導方法を模索した大学時代を経て、 「スポーツで人を育み、未来を築く」というビジョンを描き、25歳でNPO法人を立ち上げた小林忠広氏。 これからのスポーツ指導者、そしてスポーツのあり方について伺いました。
紙・プラスチックの代替えとなる、石灰石を主原とした新素材「ライメックス」。次世代型の環境配慮素材として世界から注目を集めています。 この「ライメックス」を国内で製造・販売するため、人生をかけた勝負に挑んだ山ア氏に、いかに困難を乗り越えチャンスを掴んだのか、 経営者としての原点や哲学についてお話いただきました。
ゴキブリ殺虫剤などの製造・販売を行うタニサケの創業者であり現会長の松岡浩氏。 社員数35名(内パート社員5名)で毎年20%超の経常利益を誇るタニサケには、国内外の企業が研修や見学に訪れ、 松岡氏主宰の「タニサケ塾」にはその生き様を学ぼうと多くの人が参加します。経営者として人間として、同氏が貫く人生哲学とは?
婚を機に42歳でPR会社・サニーサイドアップを立ち上げ、70歳で一般社団法人「おせっかい協会」を設立。 “愛のあるおせっかい”の必要性を説き、清掃活動などの“おせっかい活動”をしながら、全国各地で精力的に講演活動を展開しています。 極貧のなかで過ごした少女時代から起業まで、どんな苦境でも希望を失わず前進し続けた同氏の生きる力、その原点とは?
1965(昭和39)年に大阪で創業した菓子の卸、流通商社「よしや」。日本初のお菓子のフランチャイズを考案し、関西一円に展開。 創業以来50年近く黒字を維持し、業界トップを走り続けてきた経営ノウハウとは? 「社員の幸福」を追求した大胆な経営手法で知られる創業者、神吉武司氏にお話をうかがいました。
株式会社ディー・エヌ・エーが球団買収をしてから5年。当初は赤字球団だった横浜DeNAベイスターズは、2016年に黒字化を達成しました。初代社長として舵取りを担い、経営を好転させたのが池田さんです。黒字化に向けて奔走してきた裏には「横浜の発展に貢献したい」という強い思いがありました。
ソ連共産党、独裁を放棄へ---。 世界に先駆けて歴史的スクープに成功し、時代の転換期を目の当たりにした齋藤勉氏。記者として何を見つめ、何を得たのか。 今年は、ソ連崩壊からちょうど 25 年。モスクワでの燃えるような日々、そして新聞の未来についても語っていただきました
角川書店の凄腕編集者としてヒット作を生み出し、幻冬舎創業後は経営者として常識にとらわれない、無謀ともいえる 数々の挑戦で出版界に風穴を開けてきた見城徹氏。不可能を可能にしてきた圧倒的努力?の正体とは?
旧科学技術庁、文部科学省のエリート官僚から、公募で任期3年の天王寺動物園長(兼 動物園改革担当部長)へと転身した牧慎一郎園長。 実はTVチャンピオン(テレビ東京系列)「全国動物園王選手権」で優勝するほどの“動物園マニア”。 キャリアを捨て、満を持して飛び込んだ動物園経営の道にかける、熱い思いを伺いました。
PL学園野球部の監督として、甲子園で春夏通算6度の優勝へと導き、通算成績58勝10敗という記録を打ち出した名将・中村順司監督。清原和博、桑田真澄のKKコンビをはじめ、立浪和義、松井稼頭央ら数々の名選手を送りだしてきた、中村監督の野球にかける思い、指導者としての哲学とは?
職場で怒号が飛び交う、まさに荒くれ者のたまり場だったタクシー業界で、「お客様主義」を掲げ創業して40年。 悪しき慣習を打ち破ろうと“業界の常識”と戦い、批判を浴びながらも、ドアサービスや自己紹介、未経験者雇用やノルマ撤廃などを実行し、 ついに県下トップのタクシー会社に育て上げた宇都宮恒久さん。逆風のなかで「先義後利」の理念を貫く経営者の信念とは。
カー用品チェーン「イエローハット」の創業者で、NPO法人「日本を美しくする会」の相談役を務めている鍵山秀三郎さん。 掃除を通して快適な地域社会の環境づくり、美しい国づくりの実現を目指す鍵山さんの経営哲学や教育にかける思いを伺いました。
外資系航空会社の部長職から転身、廃線の危機に瀕した第三セクター鉄道の社長に、公募で就任した鳥塚亮社長。 筋金入りの鉄道ファンならではの夢と遊び心あふれるアイデアで、会社再生・地域活性化に邁進する鳥塚社長にお話を伺いました。
新幹線や駅構内の清掃を行うJR東日本テクノハートTESSEI(以下、テッセイ)。折り返し停車のわずか7分間で新幹線の車内清掃を行うプロ集団です。 その姿は「新幹線劇場」と称され、米CNNも「7 minutes miracle」と賞賛。現在では、ハーバードビジネススクールの必修科目としても取り上げられています。 いかにしてスタッフが生き生きと働く組織を作り上げられたのか。 組織のマネジメントを担った、おもてなし創造部顧問の矢部輝夫さんにお聞きました。
建築家として数々の賞を受賞し、業界の注目を集めてきた大江匡氏。 独立後、プランテック総合計画事務所を創立してから30年あまり、常に革新的な戦略で7社からなるグループに成長させ、 経営者としても手腕を発揮する大江氏に、建築家・経営者としての哲学やその原点を伺いました。
セレッソ大阪と日本ハムファイターズの社長を務め、黒字転換・地域密着型のチームづくりを実現した藤井純一氏。 競技の枠を越え、異なる地域でミッションを成し遂げた、ビジョンに基づく“ブレない”組織づくりと徹底した「ファンサービス・ファースト」の精神について伺いました。
ダスキンの代理店などを基盤に事業展開する株式会社武蔵野。 赤字と“ダメ社員”を抱えていた会社を優良企業へと導いたカリスマ社長として名を馳せる小山昇社長。年間240回以上のセミナーや研修をこなす傍ら、年間50回以上になる社員との酒宴も欠かさないという。コミュニケーションの達人が持つ、常識にとらわれない経営哲学について伺いました。
“経営の神様”として今も多くの尊敬を集める、パナソニック株式会社の創業者・松下幸之助氏。 幸之助氏が「人類によりよき未来を」という願いのもとに創設したのがPHP研究所でした。 自らも創業者のもとで新入社員時代を過ごし、情熱と思いを受け継ぎながらも、独自の経営を実践する清水卓智社長にお話を伺いました。
石川県・能登半島に、明治39年の創業から100余年の時を刻む老舗旅館「加賀屋」。 1981年に「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で初めて総合1位となって以来、33年間連続でトップに輝き続けています。 150人近い客室係を擁しながら、隅々まで行き届いたおもてなしを実現する“加賀屋の心”とはどのように守り育てられてきたのか。 三代目女将・小田真弓さんにお話をお聞きしました。
日産自動車からアメリカ留学を経てコンサルタントへ転身。 その後アトラス、ザ・ボディショップ、スターバックスと3社の社長を務め、いずれも大幅な業績回復を成し遂げた岩田松雄氏。 自らカリスマリーダーではないと断言する岩田氏に、社会や企業がいま本当に求める理想のリーダーとは何かを伺いました。
岐阜県にある電気設備資材製造会社、未来工業。 ホウレンソウ禁止・年間休日日数140日など、ユニークで大胆な制度が話題を呼んでいます。1965年の創業以来赤字なし、年間売上200億円を達成している同社において、社員のやる気を引き出し業績を上げ続ける秘密とは? 型破りな経営ポリシーを貫く創業者・山田昭男相談役にお話を伺いました。
60歳で戦後初の独立系生保、ライフネット生命を立ち上げた出口氏。 保険料半額、約款公開、保険料の内訳開示など、これまでの生命保険業界の常識を覆す取り組みが注目されています。 同社の成長の鍵を握る揺るぎない経営理念やビジョン、それを支える独自の哲学について伺いました。
商社からコンサルタントを経て企業経営へ。 さまざまな経営領域でキャリア転身しながら、アディダスジャパンの設立や東ハトの再生など、数々の成果を挙げてきた辺見氏。 転換期に発揮されてきた人生哲学や根底にある子ども時代の渡米経験などをうかがいました。
関西を中心に104店舗を展開するスーパーホテル。従来の常識にとらわれず、「感動」を与えるホテル作りに情熱を注ぐ山本梁介会長に、ホテル経営や人材育成への考え方、次なる目標についてうかがいました。
「滅びゆく平家のよう」と揶揄されるほど凋落していた組織で、“生ビール路線”を打ち出し見事に再生を遂げたアサヒビール。強豪キリンビールが勢力を伸ばす中、いかにして小は大に勝利することができたのでしょうか。また、今を生きる世代が忘れてはならない日本人の美質とは。アサヒビール再生の道を開いた知将・中條高コ氏にうかがいました。
生活用品の開発、製造、販売を行うアイリスオーヤマ株式会社の大山健太郎社長は、19歳で経営に就いて以来、常に「ユーザー目線」で発想し、ビジネスを展開してきました。社員の教育では、人柄と意欲を重視するという大山社長。その考え方について、東日本大震災のエピソードとともに語っていただきました。
最高級のサービスを提供する「セント レジス」ブランド。 その日本進出として注目を集めるセント レジス ホテル大阪の総支配人に石原哲也氏は着任されました。 石原氏の考えるサービスと従業員教育の秘けつについてお話をうかがいました。
警察庁キャリアとして活躍し、外務省、防衛庁(現防衛省)勤務や内閣総理大臣秘書官をはじめ、国内外のさまざまな危機管理の経験を積んできた金重氏。日米文化の違いや「東日本大震災」後の企業の震災対策について、お話をいただきました。
2000年、オリンピックの女子マラソンで日本初の金メダリストを誕生させた小出義雄監督。 肩の力の抜けた口調や豪快なパフォーマンスが注目されがちですが、選手の指導には深い愛情と洞察力、そして緻密さがうかがえます。 小出流育成法と監督自身のパワーの源についてお話しいただきました。
バレーボール選手として全日本チームで活躍するかたわら、教師になる目標をあきらめず現役引退後に転身、さらに会社経営にも挑戦してきた三屋さん。そのバイタリティーの源は人生の転機でもらった恩師の言葉だったといいます。これまでの歩みを教育者、経営者としての視点から語ってくださいました。
23歳という若さで東幸海運株式会社 代表取締役に就任した笹木秀雄さん。 一貫したスタンスから、2代目の重圧に打ち勝った理由が見えてきました。
デフレ状況の今、悩める経営者たちに集客のノウハウを伝授する経営コンサルタント 藤村正宏氏。 「モノ」ではなく「体験」を売るというマーケティング論「エクスペリエンス・マーケティング」(エクスマ)を裏付ける生き様や、塾経営にも実践できるノウハウについてお話しいただきました。
連合赤軍浅間山荘事件で現場指揮官として手腕を振るうなど、数々の場面で日本の治安維持に貢献してきた佐々淳行さん。その目には現在の教育はどのように映っているのでしょうか。戦前戦後のご体験をもとに教育のあり方を語っていただきました。
吉田たかよし先生は、脳医学の立場から、どうすれば勉強・教育の効率が高まるのかを研究し、受験生やその父母などにアドバイスを送っていらっしゃいます。 教育に対するお考えを、教室で実践できるノウハウも含めてお話しいただきました。
「東大阪から人工衛星を打ち上げる!」という壮大な計画を立ち上げ、実行させた株式会社アオキ・青木豊彦社長。バイタリティ溢れる青木社長の原動力とはなにか? なぜ人工衛星を打ち上げたのか? そして、ご自身の経験を元に、子どもたちとの接し方をうかがいました。
薬剤師、童話作家、国会議員、財団理事長というキャリアのなかで、長年子どものための取り組みを行ってきた肥田美代子氏に、日本の教育の問題点やこれからの教育のあり方について伺いました。
社員5人の会社ながら、細さ0・2ミリの「痛くない注射針」など、他では作れない製品を数多く実現させてきた岡野工業。その技術を引っ張ってきた岡野氏に、経営や教育に対する独自の考えを語っていただきました。
IT通信の分野で5つもの会社を起業し、いずれも成功に導いたその開拓精神、起業家のDNAとは何か、ベンチャーを成功に導く秘訣は何かをお話いただきました。 また、広い視野からみた日本の教育への提言をご自身の経験と合せてお伺いしました。
まさにオリンピック・イヤーとなった2008年!子供服のトップブランド「ミキハウス」の社長であり、これまで数多くのトップアスリートの育成に大きく貢献し続けてきたことでも知られる、株式会社ミキハウス社長・木村皓一さんにお話をうかがうことができました。今や、オリンピックや世界選手権をはじめとする国際大会で活躍し、メダル保持者となった柔道家の来歴について綴られる文章の中で、「柔道の名門」と評されることが自然となったミキハウスですが、柔道にしても卓球にしても、木村さんが選手を引き受けはじめた頃は、まだ世間では今よりずっとマイナーなイメージだったのだそう。まさに先見の明あり!並々ならぬ懐の深さを感じさせられます。温厚な笑顔の奥にのぞく、木村さんの、年齢を重ねてなお磨きがかかる柔軟な発想力とパワーの源に迫りました。
高度経済成長期に大手企業の商社マンを務めるも、会社の官僚体質にはことごとく反発。その型破りかつひたむきで前向きな姿勢を貫き、独自に商談を次々とまとめ上げ、ヨーロッパに活躍の場を与えられるも、最終的にはスッパリとサラリーマン生活に決別したという小林真一さん。自身で会社を起こされ、現在は、これまでの経験談をもとに自ら創作・出版した処女小説が当たり、さらなる創作意欲にかきたてられる日々です。そのバイタリティあふれる生き様と、人を惹きつけてやまない魅力を探るべく、お話をうかがいました。
高級官僚から天下りという道を歩まず、「輝いて生きたい」という熱い思いから、ベンチャー企業を立ち上げた一柳良雄さん。幾つもの壁にぶつかりながらも、逆境をバネに経営の本質を見出してきた逞しさがあり、その表情には自信がみなぎっています。「どう生きるか」を問い続ける一柳さんが大切にしていること、そしてこれからの世を担う子どもたちが何を学ぶべきか、などを語っていただきました。
荒廃する日本の文化を憂慮する声も少なくない昨今。そんな中、日本文化の良さを再発見し、世界に向けて発信していく活動に積極的に携わる人に出会いました。森之宮神社の宮司を務める、石崎正明氏です。いまや数少ない「日本文化を語れる日本人」とも評される石崎氏に、現代の子どもたちに託したい想いを語っていただきました。
世界の動きを察知し、社会におけるITの変革期とともに自らの進化を追求してきたフューチャーアーキテクト株式会社代表取締役会長CEO 金丸恭文氏。自らで行動を起こし困難に立ち向かう、人材の育成についてお伺いしました。
株式会社ニチイ(現・株式会社マイカル)の創業者である夫の西端行雄氏とともに商いの道を歩まれた、西端春枝氏にお話を伺いました。著書「縁により縁に生きる」にも綴られる夫婦二人三脚で歩まれた歴史は奥深く、慈愛に満ち溢れるものでした。
通商産業省で31年間ご活躍された野々内氏は、経済産業調査会理事長として、経済産業施策の普及・啓発事業に取り組まれています。経済産業調査会理事長のほかに、あいさつの運動やホスピタリティ協会での活動を積極的に行い、家庭教育や人間関係の重要性を実感しておられます。野々内氏に、教育に対する考え方をお伺いしました。
日本におけるコンピュータの黎明期から、情報産業の振興に携わってこられた財団法人日本情報処理開発協会会長 児玉幸治氏。長年にわたって積み上げられた経験から、企業姿勢のあり方をはじめ、日本の未来を担う子供達にとって、必要な教育とは何かをお伺いしました。
エステティック業界のカリスマとして、ご活躍されているたかの友梨ビューティクリニック代表たかの友梨氏。美を追求し続け、心も体も癒されるエステティックの実現を目指して、新技術の導入、事業拡大などのチャレンジをし続けておられます。そんな自らの経験から学ばれた人生哲学をお伺いしました。
弱冠26歳で創業し、当時信用の薄かったゴルフ会員権ビジネスに革命を起こすべく、お客様の立場にたったコンサルティング営業を提唱してこられた株式会社桜ゴルフ代表取締役、佐川八重子氏。37年にわたる経営人生の中で学んでこられた人生哲学をお伺いしました。
日本航空(JAL)で40年間のご活躍され、JALUX特別顧問であられる横山氏は、東京都学校経営支援センター顧問として、学校教育の改善にも取り組まれています。横山氏に、現在抱える教育の課題とこれからの進むべき道についてお伺いしました。
経営管理分野の第一人者として経営管理の理論と実践を研究してこられた小林末男氏。教育者になる決意をされて以来、教育に対して深い愛情と情熱を注いでこられました。小林氏に、ご自身の経験を交えた教育に対する考え方をお伺いしました。