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いま、子どもたちに伝えたい、美しい心の在り方 |
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Profile
昭和17年大阪市生まれ。
昭和40年國學院大學文学部卒業。
鵲(かささぎ)森宮(森之宮神社)宮司。
全国教育関係神職協議会副会長。
美しい日本文化研究所所長。
著書に「あなたニッポン人?」「心美人してますか?」「いま、子どもに伝える51の徳育」(ともに出版文化社)「心の育て方―感性の扉を開こう―」(たま出版)ほか。
荒廃する日本の文化を憂慮する声も少なくない昨今。そんな中、日本文化の良さを再発見し、世界に向けて発信していく活動に積極的に携わる人に出会いました。森之宮神社の宮司を務める、石崎正明氏です。いまや数少ない「日本文化を語れる日本人」とも評される石崎氏に、現代の子どもたちに託したい想いを語っていただきました。
自分の国を愛するということ
森之宮神社の宮司は、私で三代目になります。父は厳格な人で、挨拶など人として最低限のマナー、在り方というものは、幼いころにしっかりとたたきこまれました。振り返ってみて気づくことですが、厳しく教え躾けられたことを今となっては深く感謝しています。
今の世の中を考え、客観的に見てまず感じることは、いい意味での“男らしさ”“女らしさ”が失われつつあるということ。「男女共同参画社会」がうたわれるようになって久しいのですが、その言葉を盾に、多くの矛盾が生じていることも否めません。本当の意味での平等、対等な立場とはどういうことでしょう。
曖昧な境界線に、我々はもっと疑問を抱いてもいいと思いますし、民主主義を疑うことも時には必要だと思います。「民主主義」…少数意見を尊重した上に成り立つものであれば、まだわかるのですが。どうでしょう。甚だ疑問ではありませんか。
日本は敗戦をきっかけに、急速に諸外国に近づこう、諸外国のようにあれと外に目を向けてきました。少し乱暴に聞こえるかもしれませんが、この頃から日本の文化が壊れてきたように思います。現代を生きる人々が日本の歴史や文化だと認識しているのはせいぜい1945年以降、ここ60〜70年のことがほとんどではないでしょうか。
哀しいことですが、日本に生まれ、暮らしながらも日本の良さを知らない人が多過ぎます。現在、「グローバル・スタンダード」という言葉が頻繁に囁かれていますが、日本をよく知りもしないで、他国のことを語れるでしょうか。それはつまり「自分を愛することもできないで、他人を愛せるだろうか」という問いかけと相通ずるものがあると、私は思います。
感性の国に生まれたことを誇りに
確かに、広く世界に目を向けるということは大事なことです。でも、それは、経済面などは別にして、なんでも「世界基準」でとらえようと努めることとは別の問題ではないかと思うのです。日本人であることを、もっと広く世界に向けて誇れるようにありたいですね。日本人としての気質、これまで古人・先人たちが築いてきた文化、風習にもっと目を、愛情を向けて、大切にしてほしいと思います。
例えば前頭葉、右脳が発達しているというのは我々日本人の特性でもあり、誇れる部分でもあると思うのです。思いやりの精神。感性で物事を捉え、動けることの素晴らしさ。奥ゆかしさ。他人の気持ちを汲みとる、おもんぱかって動くことができる細やかさ。それは、古来自然崇拝の精神から生まれ、発展した日本人特有の気質であり、後世へと大切に受け継いでいくべき在り方だと思うのです。その事実を軽視したり飛び越して、ただやみくもに何でも「論理的に」と片付けようとする傾向は、少々乱暴な気がしてなりません。
四季のある国・日本。それが、日本の魅力であることは紛れもなく、日常の中で季節を肌で感じられることの喜びを知らない人などいないでしょう。ですが、最近では春めいた陽気、秋の深まりを感じられないという声も囁かれます。気候までもが少しずつ日本らしさを失いつつあるのかと思うと、心中穏やかではいられません。
家庭内での会話が大切
「日本らしさが失われつつある」「日本の文化は荒廃の一途をたどるばかり」と、ただ現状を憂慮して嘆いてばかりいても何も始まりませんし、良い方向へは変わらないでしょう。これからの世の中を担う子どもたちに、私たち大人がしてあげられることは何か。受け継いでいくべきこととは何かを考え、あきらめず提唱し続けていくことが大切だと思います。
日本の歴史を知ろう、古来から受け継がれる日本の文化に触れ親しもう、といったところで自分の生まれたルーツを知らずして祖先や先人を崇拝することなどできませんからね。まずは、家庭内のコミュニケーションを充実させることから見直してもらいたいですね。理想を言えば、お父さんお母さんはもちろん、祖父母も交えてコミュニケーションが図れるとよいのですが。例えば、戦争を体験した人、あるいは体験した人を親や兄弟にもち、その頃の体験談をしっかり脳裡に刻まれている人と話すことで、戦争を知らない子どもたちでもよりリアルに、戦前戦後の歴史に触れ、多くを感じ取ることができるでしょうから。
核家族化、少子化が進む昨今。母親と子どもとの関わりはより密接なものになっていると考えられます。お母さんが子どもに与える影響は多大で、はかり知れません。だからこそ、現代のお母さん方にはぜひもっと積極的に我が子と向き合い、多くを語り、ともに体験学習を楽しめるひとときを大切にしてもらえたらと願います。時には泥まみれになって、汗だくになって遊ぶことも、敬遠せずに。私も時折、各地で公演の依頼を受けることがあるのですが、ぜひ挑戦してみたいことのひとつが「母親教室」なんですよ。「心」を育む理想の母親像について、一緒に考え、学んでいけたら素敵だなと思っているんです。
体験学習を通して考える力を培う
賢い母親が子どもを、ひいては世の人々を育むと思うんですね。賢いというのは、なにも学歴の有無ではかるものではありません。子どもに惜しみなく深い愛情をそそぎ、幼いうちからできるだけ多くの「体験学習」をさせてあげられる、そんな母親がいわゆる賢母といわれる人、まさに世界に誇れる「やまとなでしこ」だと私は思います。
実は以前私は、約25年にわたって教職に就いていたことがあるのですが。共通一次(大学共通一次試験)が実施された昭和54年以降、考えない子どもが急増したとの教育的見解があり、そのことは頭のどこかでずっと気になっていました。例えば今取りざたされている社会問題はなぜ起きてしまったのか?いつから、こうなってしまったのか?こうしている今も、世界では1日10万人もの餓死者が出ていることを、どれほどの人が認識しているでしょうか。
「なぜ?」「どうして?」という、与えられた課題に対して疑問を投げかけ、咀嚼するという行為。それは、体験学習を通して自然に身に着くものです。つまり、現代の子どもに欠けているのは、体験から学ぶということではないでしょうか。
多くの体験学習を通して、人は「なぜ?」「どうしたらこうなるのか?」考える力が育まれます。そしてそれらの体験が積み重なった「経験」は豊かな感受性を育み、「違い」がわかる・汲み取れる人を形成します。その先にあるのは日本が世界に誇る、研ぎ澄まされた感性が築く文化です。
未来ある子どもたちに、もっと体験学習を。それこそが、これから私たち大人が唱えるべき、本来の「ゆとり教育」ではないでしょうか。
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