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起業を成功させるコツとクリエイティブ脳のつくり方 |
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Profile
昭和17年生まれ。京都大学工学部電子工学科卒業。日本電信電話公社(現NTT)に入社、フルブライト交換留学生としてフロリダ大学修士課程・博士課程修了・工学博士(電子工学)を取得。昭和59年第二電電株式会社(
現KDDI) を京セラ・稲盛和夫氏と共同創業し、同社副社長。平成8年に慶應義塾大学経営大学院教授に転じる。平成11年IP通信ベンチャー、イー・アクセス株式会社を創業し、代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO)に就任。平成17年1月に設立した、イー・モバイル株式会社の代表取締役会長兼CEO
を兼務。この他、国内外のベンチャー企業のアドバイザーや、ロイター発起人会社取締役など社外役員も務める。著書に「ブロードバンド革命への道」(経済界)、「千本倖生のMBA
式会社のつくり方」(PHP 研究所)ほか多数。
IT通信の分野で5つもの会社を起業し、いずれも成功に導いたその開拓精神、起業家のDNAとは何か、ベンチャーを成功に導く秘訣は何かをお話いただきました。
また、広い視野からみた日本の教育への提言をご自身の経験と合せてお伺いしました。
父親とアメリカから受け継いだDNA
私は奈良の出身で父親は、家具・インテリアを扱う会社の経営者でした。元々、大阪の高等専門学校の先生をしていて、戦時中、軍の関係で奈良に行き、そこで終戦を迎えました。その後、家具製造会社の取締役になっていたのですが、戦後すぐの大不況で倒産。仕方なく自分で事業を始めたというわけです。小さい時から父親を見て苦労しているなと子ども心に思っていました。当時は極貧の生活ではないのですが、中小企業の面白さと大変さという両面をみた子ども時代を送りました。
大学は、京都大学工学部に入り電子工学を専攻しました。卒業後の進路は、父親の姿を見ているので別の道へ行こうと思い、大学での専攻が生きて、安定していて、ハイテクで将来性もあるということで当時の日本電信電話公社(現NTT)に推薦で入りました。
ひとつ転機になったのは20代半ばにフルブライト留学生でアメリカに留学したことです。大学院で電子工学の博士号取得に、京大の10倍くらい勉強しました。この留学でアメリカの原点である額に汗して働くフロンティアスピリットとリスクをとって自立し、自分の家族と生活は自分で守るというフロンティア精神を体験できたことは大きな収穫でした。
その後帰国して、電電公社に戻りましたが、1985年の中曽根内閣の時に公社三つ(電電公社、国鉄、専売公社)が一気に民営化されました。電電公社には、石川島播磨重工から真藤恒さんが総裁としてきて大変革を起こしました。その時私は、単なる民営化だけではなく郵便局に対抗するクロネコヤマトのようなものを作らないと駄目だと思いました。それで京セラの稲盛和夫さんにお願いして資金を出してもらい、第二電電(現KDDI)を起業しました。
父親とは違う道を辿ろうとしましたが、父のDNA と、多感な頃にアメリカで経験したフロンティアスピリットのDNA。これが起業家としての私に火をつけたようです。
機会を捉えて企業家になる
42歳で稲盛さんと二人で第二電電を創業した時、蟷螂(とうろう)の斧だとかドン・キホーテだとか言われました。しかし、日本の通信事業の流れを変えるため、時代を先取る事業を立ち上げるために行動を起こしたのです。アメリカのある企業家の言葉で「世の中には三種類の人がいる。何が起こっているのか分からない人が五割。何が起こっているのか理解し、分析も批判もできるけど自分ではアクションを起こさない人が四割。あと一割が世の中の動きを理解して何かアクションを起こす人。その人たちが人類の歴史を変えてきた」というものです。私はそのアクションを起こす人になりたかったのです。また、アクションを起こす時に気をつけないといけないのが「十歩先いくと失敗。半歩先なら成功」ということです。これは“Window
of Opportunity”(機会の窓)といって、ハーバード大学でよく教えられるんですが、この窓は六ヶ月くらいしか開いていないそうです。成功するには、周到に準備して、協力者を募って、この短い間に起業を行うということです。
その後KDDI の経営から退いて、慶應義塾大学大学院で教壇に立ちました。2000年(私が57歳の時)にインターネット革命があって、起業家の血が騒ぎ、大学よりも会社を起こそうという気になったのです。それでベンチャーとしてイー・アクセスをゼロから作って62歳でイー・モバイルを作ったのです。
通信の世界は固定から携帯へ、一方、低速ナローバンドから高速ブロードバンドへ移ってきています。世界のIT はほとんどモバイル端末を指向していますから、日本でもこれからは広い意味でのモバイル端末にブロードバンドが広がると考え、それに絞った会社を作ろうというのが設立の趣旨でした。アメリカでもイギリスでもまだ携帯「電話」会社で止まっています。だから、日本発の次世代の携帯「インターネット」会社をつくる必要があったのです。
「適切な利益、健全な成長、よく見える経営」私の会社論
私の信念として単に会社が儲かるだけでは駄目で、きちんと利益をだして、健全に成長しないといけない。
ベンチャーから成長して、社会や国家の仕組みや在り方を良い方向に変えていく企業活動を、自分ではやりたいと思っています。自分も儲かるんだけど儲かるようにやったことが、結果的に世界のトレンドに対して日本が牽引役となっているような企業活動が理想です。そのためには世界に理解してもらえるような仕組みを作ることが必要となってきます。たとえばイー・モバイルでは、外資の投資家に囲まれていますので経営は極力透明に、何でも説明できないと投資家は納得しません。毎月分厚いレポートをだして対応しています。非常に煩雑で遠回りですが、近道でいくと必ず問題が起こる。だから正々堂々とやるべきステップを踏んで、きちんと誠実に熱心にやるようにしています。至極当たり前のことですが、この当たり前のことがほとんどの会社でできていないのです。
詰め込み教育で何が悪い!知育教育が大事
KDDI の経営が一段落ついて、慶應義塾大学やスタンフォード大学から教えないかと誘われて、慶應
で教鞭をとることになりました。大学では企業の損得は関係ないので、山の高みから社会を俯瞰しているようで、経営を学生に教えたのはすごく楽しかったです。
そんな私は教育については放任主義で自分の子どもに対して何も言いませんでした。ただ、一般論としてもっと勉強させるべきだと思います。勉強は、それ自体面白くないからこそある程度強制させるべきです。欧米、中国などは「知」の教育を重視していますが、日本ではかなり欠けています。
小、中学校で知育教育、受験教育と言われてもかまわないから、もっと詰め込み教育を行うべきだと思います。
たとえばクリエイティビティ(創造性)は知識の上に成り立つんです。知識がなくて創造性なんてでてこないです。知識が重なっていって、圧力鍋の中で爆発するから、良いものができるのであって、「知」のないところに爆発はありません。また、個々の子どもの強みを見てあげるのが大切だと思います。見てあげて強いところを伸ばす。たとえば美術、音楽が強い子には、そこに着目して知の訓練を重点的に行うことが必要でしょう。
反対に指導する側には、手心を加えず、自信をもって知識教育をして下さいと言いたい。同時に個々の子どもが持っている強いところ(弱いところは無視)はどこかに焦点を当て、どう伸ばしたら、その子の可能性が伸びるのか考えるのが良いだろうと思います。
勉強も経営も私はいつも山登りの話で例えるのですが、朝三時の暗いうちに登山道からはなれた山の稜線を重い荷物を担いで、カンテラを点けて登っていきます。その時3000メートルの山に登るのに山の頂上を見ちゃだめなんですよ。気がめげちゃうから。だから見るのは足元の70センチ前だけをみるんです。木の根っこ、岩を避けて、登っていく。そうすると朝の五時くらいに霧が晴れると「俺はこんなに登ってきたんだ」となる。そこで見たらあと500メートルで山頂だと気づく。最初から山頂を見ていたら絶対山なんて登れません。
足元の一歩先だけをみて山頂を目指すことが大事です。 |
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