関塾ひらく「インタビュー」 各界で活躍する著名人に教育や経営をテーマとしたお話を伺いました。
インテグラル株式会社 パートナー 辺見芳弘氏
自ら選んだ目標に向かい努力を続ける“動機”を追求
 
Profile
1957年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、三井物産に入社。ハーバード大学MBA(経営学大学院修士)取得を経て、1990年ボストンコンサルティンググループ入社。1998年からアディダスジャパンの日本人トップとして、日本法人の設立に参画した。2004年には、民事再生法を適用した東ハトの代表取締役社長に就任し、企業価値の大幅向上に貢献した。2007年、インテグラル株式会社を創設。現在、同社パートナーとして活動している。
商社からコンサルタントを経て企業経営へ。 さまざまな経営領域でキャリア転身しながら、アディダスジャパンの設立や東ハトの再生など、数々の成果を挙げてきた辺見氏。 転換期に発揮されてきた人生哲学や根底にある子ども時代の渡米経験などをうかがいました。

アメリカでの子ども時代 迷走の思春期


1969年、小学6年生の夏休みに両親の仕事の都合でアメリカへ転居しました。両親が選んだのは、ロサンゼルスの日本人が一人もいない町。最初は楽観的だったものの、学校が始まると、当然ながら言葉が通じない現実に気づかされます。当時はまだ日本にマクドナルドができたばかりのころで、外国自体になじみのない時代。アメリカ人の中に放り込まれて、もうパニックですよね。実は、日本では「麻布組」なんて呼ばれる優等生で、名門中学を受験するための進学塾に通っていました。それが突如、勉強はおろか言葉も通じない環境に置かれ、その落差にただ愕然としました。
ところがおもしろいことに、衝撃とともに学校生活が始まって約半年、7年生に飛び級することになったんです。アメリカは「フェア」の価値観が浸透した社会。チャレンジしたいものには機会を与え、頑張った分だけ評価する。英語ができなかった私が評価されたのは、算数でした。足し算かかけ算か、最初は問題文さえ理解できなかったんですが、日本の塾での訓練が功を奏し、問題文さえクリアできればほかの生徒よりも圧倒的に解けたんです。こうして評価されるうちに、「やってみる価値があるんだ」「頑張ってよかった」と自信につながりました。何よりアメリカ人の明るくフレンドリーな性質、フェアでオープンな生き方に救われた部分は大きいですね。
一方でアメリカでは、高校生にもなれば、将来エリートとして生き残るために周囲に自分をどう見せれば良いかを考えています。勉強もスポーツも、できる生徒がとことん主張する。私は生き抜くためにやっていましたから、彼らと同じようにはできないし、そういう生き方を美しいと思えなかったんです。4年半を経ても、こうしたアメリカ社会に対する違和感は消えず、「日本に帰りたい」という私のたっての願いから、17歳で単身帰国することになりました。
ところが、当時はまだ帰国子女が珍しく、周囲から普通の日本人として見てもらえない。自分自身が思い描いていた日本人像からもズレている気がする。アメリカ人とも日本人とも違う自分に困惑し、帰国後4、5年は“迷 走”が続きました。いわゆる「アイデンティティー・クライシス」ですね。高校は部活に出席するだけ。英語ができたので受験も難しくありませんでしたから、「大学合格が唯一の目的なら、勉強する意味はない」と決めてしまい、勉強の目的も努力する意味もわからなくなっていました。
“迷走”を抜け出すきっかけになったのは、通訳のアルバイトでバスケットボールの日本代表チームに関わったことでした。たとえ才能があっても「ハートが悪い」、つまり勤勉でない選手は良いプレーヤーになれない。大切なのは、あることを続けるための努力であり、努力を続けられる人が一流なんだと学んだんです。これは、その後 の人生に影響を与えた経験でしたね。


数値化、ロジック……“経営を科学する”思考

卒業後は、グローバルな仕事がしたくて三井物産へ。そこで経営に興味を持ち、ハーバード・ビジネス・スクール(経営大学院)へ入学しました。ここで学んだのが、“経営を科学する”という学問でした。“科学”とは、数字やロジックを通して経営を分析し、実際の経営に生かすこと。逆に現場から新たなロジックを創り出すことです。いわば経営学は、実社会との距離が近い学問なんですね。そのおもしろさに出会ったとき、ようやく、これまでの勉強や仕事の目的、実社会とのつながりが見えてきたんです。
修士課程修了後は、ボストンコンサルティンググループ(BCG)に入社しました。コンサルタントの仕事は、例えるなら子どもが自転車に乗る過程を手伝うようなもの。方法は一つではありません。「補助輪はいるか」「一度転んでケガをする必要がある」など、個社の実状に合わせて、理論を使い分けながら、分析や指導を行うのです。そんな中で私は、経営の「理論」だけでなく、「実践」したいと思うようになっていきました。そんなとき、コンサルタントとしてアディダスを担当していたことから、自分で描いた「画」を実践するチャンスがめぐってきました。


常に相手の立場を考え相手の心に寄り添う

日本人トップとしてアディダスジャパン設立に参画したのは、1998年から。社員は4人、ゼロからの立ち上げでしたから、苦労は数えきれません。しかし、一番大変だったのは人を動かすこと。企業は個人の集合体ですから、これまでの「理論」で語るだけではなく、成果に結びつくよう個々人に動いてもらう必要があります。そこがコンサルタントと経営の大きな違いであり、難しさでもあるのです。
興味深いのは、一人の能力を100%とすると、アメリカ人は120%できると主張し、日本人は80%と主張する。企業がグローバルになれば、個性はもちろんこうした文化の相違も出てきます。また、コミュニケーションの難しさもありますね。単語の意味をそのまま訳して理解していてはダメ。まずは言葉の背景にある文化の違いを理解した上で、両者の違いを少しずつ埋めていく必要があります。さまざまな国、立場の人と対話や交渉をしていくには、多様な価値観の間で、いかにバランスを保つかを大切にしてきました。
2004年、代表取締役社長に就任した当時の東ハトは、民事再生法が適用され、経営はまさに難局を迎えていました。現状を打開するには思い切った対策が不可欠ですが、人がついてきてくれなければ成功はあり得ません。
ここで最初に考えなければならないのは、社員の心です。技能はその次でいいんです。「大丈夫、一緒にやりましょう!」という思いを伝え、社員が会社に期待することや思いを吸い上げていきました。頑張る目的ややりがいを感じる環境を整えながら、サポートすることが経営者の役目だと考えています。
経営において、人を動かすには常に、相手に思い入れを持ち、「自分だったらどうしてほしいか?」を考えてきました。そうすればおのずと、何をすべきかが見えてきます。


人生の目標に向かって目前の目標をクリアする

私は元来なまけもの。何かを続けるためには、「楽しい」「人が喜ぶ」「成長できる気がする」といった“動機”が必要なんです。ビジネススクールからコンサルティング、二つの企業の経営と転身する中でも、常にこの“動機”を探し続けてきました。
例えば、戦後や高度成長期のように、個人の働く目的や目標が明確な時代と違い、現代は生き方にも選択肢がたくさんありますよね。ある意味恵まれた環境の中では、どうすればモチベーションを維持できるかを考えることが大事だと思うんです。
関塾の経営者の皆さんには、長期的な目標と短期的な目標を持ってほしいですね。私の長期的な目標は「自分の人生を良い人生にする」。これをいつも頭の片隅に置き、大きな転換期にはどうすれば人生が豊かになるかを一つの指針にしてきました。
そして子どもたちにも、志望校合格という目前の目標の向こうに、『良い人生』につながる長期的な目標を持ってほしい。その目標は自分で選ばなければいけません。そうすれば「今やっていることは目標へのプロセスの一つ」と考えて努力を続けられますから。そして塾が、その二つの目標をつなぐ「目的」づくりの場になればいいと思います。

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