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何事にも負けず、夢を実現する精神 |
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Profile
1948年、新潟生まれ。
1972年、エステティック技術を学ぶために渡仏。
1978年、たかの友梨ビューティクリニックを設立。
現在、たかの友梨ビューティクリニック代表、日本エステティック業協会理事、日本肥満学会会員なども務める。
著書に『アーユルヴェーダ美人道』(情報センター出版局)などがある。
エステティック業界のカリスマとして、ご活躍されているたかの友梨ビューティクリニック代表たかの友梨氏。美を追求し続け、心も体も癒されるエステティックの実現を目指して、新技術の導入、事業拡大などのチャレンジをし続けておられます。そんな自らの経験から学ばれた人生哲学をお伺いしました。 |
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ただ求めるだけ、与えられることだけを待っている生き方では、決して人の心を捉える美しさを放つようにならない。たかの氏がおっしゃるように、待っているだけの人生では成功はやってこないもの。夢や目標を実現するためには、自分自身を裏切ることなく、自分が目指す道をまっしぐらに突き進むことが大切だと教えていただきました。
仕事人生の出発点は理容師から
「たかの友梨ビューティクリニック」は、直営で125店舗を全国展開しているエステティックサロンです。
私がエステティックに開眼したそもそものきっかけは、中学校を卒業してすぐに理容師の道へ進んだことです。
母から常々「男に頼らなくても生きていけるように、手に職をつけなさい」と教えられてきました。それで中学校を卒業後は、定時制高校に通いながら、理容師の専門学校へも通いました。一年で専門学校を卒業し、母の勧めもあって住み込みで働くことになりました。
理容は、職人の世界ですから、入ってすぐにお客様への技術は出来ません。最初に任された仕事は掃除・洗濯などの下働きや子守りばかり。それらの仕事をこなしながら、技術を盗み見するわけです。先輩のハサミを触らせてもらうことすら出来ませんでした。うっかり触ると「ハサミは職人の命だ」と叱られるのです。
もともと勉強が好きでしたので、早く洗濯を済ませて勉強したいなと思いながらやっていました。勉強よりも修行の方がずっと厳しかったので、高校へ行くのはすごく楽しかった。お店が忙しい夕方に、一人仕事を抜けて学校へ行き、学校から帰ってきてからまた下働きをして、それからハサミや剃刀を研いだりして翌日に備えた。睡眠時間は2〜3時間というような生活でした。これがもし、家に帰ってグチを言う相手がいたら、こんな厳しい奉公はできなかったと思います。本当に人の2倍も3倍も努力してきたと自負しています。
欧米の美容を日本へ導入
理容師として順調に腕をあげていた頃、男性の長髪が流行し始めました。
美容技術の必要性を感じ、美容師の資格をとりました。ところが、美容室へは就職せず、次に入ったのが外資系の化粧品メーカーでした。仕事柄、外国の美容理論を学び、欧米では化粧品だけで肌を美しくできないという考え方があることを知りました。皮膚には皮膚の生理があり、それに基づいた理学療法を行わなければ、本当に美しい肌は実現できない。そう知った私はいてもたってもいられなくなって、全財産をはたき美容の本場、フランスのパリへ渡りました。
パリでは日本で集めた情報をもとに、パリ屈指の老舗サロンで修行しました。そこで自分が次になすべきヒント「引き算の美学」という発想を手に入れました。私がそれまでに日本で学んだ美顔は、皮膚にあれこれつける「足し算」の美容でした。でも、フランスで学んだ美顔術の基本は、肌から老廃物や汚れを取りのぞき肌本来が持っている自然治癒力を引き出すものでした。
8ヶ月間の修行を経て帰国しました。資金もなく、日本でエステが受け入れられるかどうか不安だったので、エステティックサロンをすぐに開くのは控えることにしました。そこでフランスから持ち帰った美顔器を改良し、家庭でも手軽に引き算の美学を試していただける製品を開発しました。試作品はおもちゃの製造をやっている方やカメラメーカーの制作部長などに手伝っていただき、夢をいっぱい詰め込んでつくりました。これを通信販売で売り出したところ、大当たり。自分でも驚くほど売れました。
美顔器の製造・販売に追われる日々が続き、気がつくと30歳になっていました。この人生の折り返し地点で、本格的なエステサロンを開業する決意をしたのです。
熱意から生まれた集客アイデア
私がやりたいと思ったのは、きれいになる喜びを知り、美しくなることで心まで癒されるエステ。自分の力で生きようとしている女性たちに生きる力を贈ることのできるようなエステを実現したかった。
当時の私は経営など何も知らず、お客様の肌に触れ、お手入れすることが楽しくて仕方がありませんでした。お客様にどうしても来て欲しい。そんな思いだけで突き進んできました。ですから、「ニキビの方集まれ!タダで治してさしあげます」といった広告を大胆にも打ち出し、集客に精を出していました。
また、お店に定期的に通っていただけるよう、エステ定期券の発行も行いました。それらが反響を呼び、お店は大繁盛。結果、お店を徐々に増やしていくことができました。
経営者としての意識改革
エステティックサロンの経営は、順調でしたが実は病気になったこともありました。1ヶ月間の休養を余儀なくされたとき、このまま復帰できるかどうか心配でした。結婚もしていたので、専業主婦になることも考えました。
もう一度頑張りたいという思いで、ある企業研修に参加しました。それは地獄の特訓とも言えるほど、厳しいトレーニング。特訓が終わりに近づいてきたとき、同じ部屋に宿泊していた女性が気絶してしまいました。私は必死で女性の意識を戻すように心臓マッサージをし、倒れている女性の顔をバンバン叩いて意識を戻させました。それから報告書を書いて病院へついていって先生に報告し、先生に褒められました。それをきっかけに、特訓ですごい能力を発揮し、一番優秀な成績で終了できました。
気がついたら、私は仕事で生きていくしかない、と決意が固まっていました。自分の主人をはじめ、周りの人間にもそれを伝えると周りも変わってくれた。当時17軒だったお店を100軒にしようと、みんなが一丸となって動いてくれました。そのとき迷っていたのは私だけじゃなかったんだ、経営者が迷うと周りの人間も迷ってしまうということを実感しました。
これからの子ども達へ
自分の経験上、学習とは、すべて自分の気付きで、人から教わるものはないと思います。だからというわけではないですが、今の子供たちは、勉強は自分のためにやっているという意識が薄いと思います。家でごはんを食べさせてもらうのが当たり前だと思っているでしょう。親にわがままを言うことが当たり前の世の中っておかしいと思います。塾の先生だって同じです。先生が、自分で勉強して会得した知識は価値あるもので、その知識を教えることは情報を与えることです。情報とは情に報いると書くように、子供たちが礼節を尽くして教育を受ける姿勢をもつべきです。
関塾さんでも自信をもって子供たちの教育に取り組んでいただきたいと思います。塾頭や先生が、子供たちにいい人生を是非歩いてもらいたい、親も教えなかったことを教えるというぐらいの情熱を持つことが大切です。
また受験のための塾じゃなくて、その子のいいところを見つける塾になれば素晴らしいと思います。進学は、勉強が好きな生徒に行かせればいいんです。一人ひとり能力も違いますので、将来はいろんな選択があるということを教えていくことも大切ではないでしょうか。
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